アロマのこと②
アロマのこと①から大分時間が経ってしまいましたが。。。。。(^^ゞ
今日はアロマのこと②を書いてみたいと思います。
前回は、紀元前のエジプト、メソポタミア、インドで始まった香りの文化について
少し紹介しましたが、今日は、古代エジプトでの香りの話を紹介します。
この時代の香りは、主に薫香(焚く事で香りを出す)や香油(芳香成分を油に移す)
という形で使用されていました。
現在のように精油が抽出されるようになるのは10世紀~11世紀にの頃ですので、
まだ、この時代には精油という形では使われていないのですね。
古代エジプトでは、ミイラ作りに没薬(ミルラ)が使われたり、乳香(フランキンセンス)
は様々な儀式に用いられていたように、人々と香りは密接な関係にあったようです。
当時、この乳香と没薬は「金」よりも貴重な品とされ、アラビア半島などからエジプトへ
輸入されていました。
神殿では、日の出には乳香、正午には没薬、日没にはキフィ(「聖なる煙」という意味で
約16種類の植物性香料から作られた調合香料です)と、
一日に3回異なる香りを焚いて、太陽神ラーへ祈りを捧げていました。
日没に使用されていたキフィは、聖なる煙という意味もあるように主に寝つきを良くしたり、
寝室に邪気が入らないようにという目的があったようです。
この時代の最後の女王クレオパトラも、香りを上手に使っていたようです。
絶世の美女と言われてきた彼女の魅力を、さらに引き立てていたのは
彼女の身を纏う香りでもあったかも知れませんね。
彼女はバラの香りを好んでいたそうです。
時のローマの英雄達を魅了したエピソードとして
彼らを自室に招いた時、床一面に膝の高さまでバラの花びらを敷き詰めて迎えたという話も
よく知られています。
魅惑的な香りを身に纏い、知性や高い教養をそなえ、
相手を引きこむような話術を持ち合わせた美女が目の前に現れたら、
きっと時の英雄達も彼女の虜になったことでしょう。
国を治めていた彼女は、きっとこの香りの魅力をしっかりと分かっていて、
あらゆる場面で上手に使い分けていたのかも知れませんね。
時代とともに、香りは、王族から富裕層へ、そして庶民へと広がっていきました。
特に王族や貴族の間では、香膏(こうこう)と言われる「エジプト式の香水」
(動物性油脂に香料をブレンドしたもので、体温によって少しずつ解けることで
香りが身体に染み込んでいく仕組みになっている)なども生まれ香りを楽しんだり、
照りつける太陽や乾燥から皮膚を守るために、
香油(富裕層と庶民の間では使用する香油に違いはありますが)を
薬として使用していたそうです。
こんなに昔から、香りと人々との関係が築かれていたんですね。(*^_^*)
今日はこのへんで。