子どもの話を聞くとき(*^_^*)

子ども達と話をするとき、

私達大人の側は、子どもが小さければ小さいほど

その純粋さと未熟さに無自覚に助けられている事

結構あるなぁと気付かされます。

子どもって、大人の話を割と素直に聞いてくれるというか、

その素直さに引張られて、こちら側も素直な気持ちで

話ができるので、話しているとなんだかこちら側が癒やされていたりします。

大人同士だと、気を遣ってしまうことも、

子どもの前だとそのままさらけ出せるというか、

故に、自分から湧き上がる怒りの感情も

ついぶつけてしまったり・・・・(-_-;)

それ、子ども以外の人にもそんなことぶつけられる?

と聞かれたら、・・・・・・・(-_-;)

子どもの前で親がそんな風に出来てしまうのって

よくよく考えてみると、

子どもが親のことをそのまま受け止めてくれているから

なんじゃないかと思うのです。

優しくなれる時も、怒ってしまう時も、テンション高い時も

低い時も、ダラダラしている時も、ご飯作りたくない時も

どんなお母さんの時でもそのまま受け止めてくれている。

受け止めるしかない!?かも知れませんが笑

最終的に、自分のすること言うこと全部赦されている状態に

なっていませんか?

で、子どもが大きくなってきて、自分の中での価値観とか

意見とか少しずつ持ち始めるようになると、それまで素直に

聞いてくれていた親の話を聞いてくれなくなったり、

反抗したり、機嫌が悪くなったり、そのうちあまり話をしてくれなくなったり。

中学生ともなると「いよいよ反抗期が来たか~~」

なんて身構えてしまう親御さんもいらっしゃるかも知れません。

もちろん、成長の過程で反抗期と呼ばれるものはあります。

しかし、ここで、「最近、話をしてくれなくなった件」を

「反抗期」のせいだけにして欲しくないかなって思ったりもする

私です。

日頃の自分の「子どもとの会話の時間」を振り返ってみて欲しいのです。

先ほども書きましたが、

親の方の私達が子どもの前で素直に自分をさらけ出している背景には

子どもがそのままの自分を受け止めてくれているという大きな大きな

優しさが隠れていましたね!!

さあ、私達親の方は、子どもが何か話している時に果たして

子どもの話をそのまま受け止められているでしょうか。

話の途中で、無自覚にその話の内容や子どもに対して

ジャッジを下していませんでしょうか。

無自覚にジャッジしてさらにはアドバイスなんてしていませんでしょうか。

さらには、「どうすれば良かったと思う?」なんて

正解を導き出させようとする会話をしていたりしませんでしょうか。

私自身、子育て何年目くらいだったかなぁ?

集団生活始まってからでしたでしょうか、

割とそんな話の聞き方をしてしまっていました(-_-;)

子どもの繊細な部分を、このままでは集団生活が

出来なくなってしまうという不安から、何とかせねばという

気負いもあったりで(-_-;)

気付くのに結構時間かかりました。

子どもが話さなくなるのは、単に思春期だからではないのかなって

自分の行動を振り返ってみて、そんな風に感じました。

家でも学校みたいなことされていたら、

本心よりも社会の中の正解みたいな事を言わないといけない。

そんな会話は疲れるだけですね、したくもないですよね。

誰かに話しを聞いて欲しいって時は、

私達もそうですが、ただ聞いて欲しいだけだったりしますよね。

アドバイスを求めている訳でもなく、ジャッジして欲しい訳でもなく、

ただそのまま聞いて欲しいだけ。

そのままの気持ちを吐き出せる環境がある事が何より大事なのですが、

いざ自分が子どもの話を聞く側になると、、、、

ついつい上から目線で(経験値が子どもより高いって自負もあるのですかね?

それとも、お母さんだから何か教えてあげねばと気負ってしまうのでしょうかね笑)

ジャッジを下してしまっていること結構あります。

で、ハッとした時はすでに遅し・・・・・。

「もういいわ(-_-)」ってなります。

男性との会話では、特に男性は何か解決策を出さねばという

気持ち(脳の働き?)になって話をしてしまいがちみたいですが、

会話って、そもそも、そんなに気負わなくていいものなんだと

お互いが分かっていて話せたら、もっと素直に話せたりするのかなって

思いますが、子どもの場合と違って、お互い

素直になるっていうのがちょっと難しかったりするのかしら・・・笑

話がそれてしまいましたが、

ついついそんな話の聞き方をしてしまっている方

それが良いとか悪いとかは一切関係ありませんので、

この件で自分を責めるのはやめてくださいね。

その必要は全然ないですよ!!

それよりもですね、せっかくなので、

ハッとなった時点で、反省するのではなくて、

「あ、今私無自覚に子どものことをジャッジしていたわ」

⇒⇒「私の中にそのようなジャッジがあるのね」

⇒⇒「それって本当にそうなの?」と問いかけてみてください。

そうすると、「あれ?別にそういうジャッジな訳でもないな」とか

今まで無自覚に握りしめていたけど今となっては

不必要だったわなジャッジを手放すための出来事として

捉えていただけたら、フワッと心が軽くなる体感が出来ると

思います(*^_^*)

そして、次に、子どもの話を聞くタイミングで

ジャッジしないでニュートラルな状態で話を聞くと

自分自身も子どももどんな感じになるのか

実験みたいに楽しんでもらえたらと思います。

ジャッジしてしまう聞き方に慣れていたら

暫くはついついジャッジしてしまうのですが、

まぁ、それもオッケーで、気楽にお試しいただけたらと

思います。(*^_^*)

学校など、集団生活の中ではどうしても

学校や先生方のジャッジの下で生活しなければなりません。

こんなにジャッジ要るのかな?というくらい細かくジャッジ

されていると、いつの間にか子ども達もそれが正しいジャッジだと

思い込んで、学校が求める先生方が求める言動や行動に

なってしまい、そこに苦しさを感じてしまう子もいると思います。

なぜなら、良いとか悪いとかのジャッジってとても流動的で個人的な

ものだからです。

せめて、家の中では「そのままのあなたでオッケーだよ」と

子どもが日頃私達にしてくれているように、私達親も

ふっと心身を解いてあげられたらいいのかなぁと

未だに出来ない日もありますが(汗)

そうできたらいいなぁといつも思っています(^^;)

梅雨