そもそも・・・・。

子ども達にとっては、あっという間の夏休み

明日から、また学校生活が始まるところが多いかと思います。

夏休みも終わって、すっかりリフレッシュして

新たな気持ちで登校するのを楽しみにしている子ども達

どのくらいいるのかなぁ・・・??って思います。

子ども達って、リフレッシュできるほど

心も身体も休めているのだろうか??

夏休みのしおりに、普段出来ない事に取り組んで・・・みたいな

事が書かれていますが(お手伝い的な要素が大きいのでしょうか)、

普段は出来ない事というのは、子ども達の日常から考えてみると、

「毎日決められた時間に決められたスケジュールで動く日常」からの

解放であってもいいのでは??その日1日をどんな風にして過ごすか

自分で考えて動いてみたら??なんて個人的には思ってしまうのですが、

夏休みのしおりには、夏休みの過ごし方も細かく書かれています。

これはダメ、あれはダメ、ダメダメと書かれている文言が多いです。

何故ダメなのかは説明されていません。

私が個人的に、先ほどのような提案をしても

子ども達の頭にはあの「夏休みの過ごし方」のメッセージが浮かんできて

自分で自由に過ごす事に罪悪感や葛藤を覚えてしまう子どもも

いるかも知れませんね。

そもそも、そのような「罪悪感」を感じるのはナゼなのか??

夏休みが明けて、学校が始まるタイミングで子ども達が

つらくなってしまうのはナゼなのか??

夏休み明けに、登校するのが憂鬱になってしまう子ども達。

いろんな理由があるとは思いますが、

共通している事は、その子達にとって

学校という所が、登校したい!!と思えない場所になってしまっているという事です。

つまりは、学校が自分の居場所になっていないという事です。

学校で安心して過ごせないという事です。

これは、その子ども個人の問題なのでしょうか。

合う合わないがあるから、仕方ない事なのでしょうか。

合う合わないがあるから選択肢を増やしてくれているならいいですが、

まだまだ、小学校、中学校は多様な学びの選択肢

行政的な整備はまだまだまだまだカメさんペースです。

今ある環境の中で、学校がどの子どもにとっても

安心できる場所にするためには、まずは、現場に関わる

全ての人がその環境を作っている事をしっかり認識し、

その役割を果たしていく事からなのかなと。

もちろん、社会全体で関わっていく事なのですが、

先ほどのように現実問題としてカメさんペースの中にある

行政の指示待ちでは、いつまで経っても環境は変わりません。

そうなると、発信元を現場からにして、そこからその働きかけが

社会に広がるようにベクトルを変えていく方が早いのではと思います。

それは、学校の先生方になんとかしてよと言っているのではなく、

そこに通う子ども達や保護者、地域の方々等の協働作業で

共に作っていく事が真の意味での環境づくりになるのでは

と思うのです。自分の住んでいる場所の環境を

1人1人が自分達の事として捉えて、自分で考えて動いていく事、

声を上げること、そこから関わりを持つこと、

そうすることで子ども達だけではなく、みんなにとっての

コミュニティ(居場所)も増えていくのではと思います。

「9月1日問題」という言葉は学校や子ども達だけの問題ではないと

思います。子どもの辛い苦しい気持ちを吐き出せる環境であったり、

親が子育てに悩んだ時に話しを聞いてくれる人がいることであったり、

先生が仕事の悩みを打ち明けられる場所であったり、誰かと

関わりたいと思った時に気軽に集まれる場所であったり、そういう

環境づくりにみんなが取り組めた時に、そのような言葉は無くなるの

ではと思います。

と、ここまでこのような私の思いを書かせていただきましたが、

そもそも私も、今でこそ、そのような思いが湧くようになりましたが、

実際に我が子が、登校することに辛さや苦しさを感じている事を

目の当たりにするまでは、特に自分がそのような事について

どんな風に思っているかさえ考えた事もなかったです(^^;)

我が子が登園しぶり、登校しぶりをし始めて

ものすごく悩んだり苦しかったりしたのですが、

それと同時に

自分自身が、どれだけ子どもに対して

というか、保育園や学校に対してですかね、

「保育園に行かせなければ」とか

「早く慣れさせて、皆と同じように楽しめるようにしないと」とか

「嫌がっているけど、そのうち慣れるだろう」とか

◆集団生活は大人になるために通らなければならない事だし

 それが出来なければならない!!学校は行かなければならない!!マインド◆

の持ち主だった事に初めて気付かされました(・д・)

そして、そのマインドこそが、自分自身を苦しめていたんだと

いうことにも(・д・)

そうなんです。私、学校に行くことに対して

何の違和感も疑問も持ってなくて、学校って

行かなければならない所だという価値観の持ち主でした。

それはきっと、自分の子ども時代を振り返って

「学校に行かない」という選択肢がない、

「学校に行かないなんてありえない」な常識の時代を

過ごしていたというのも大いに関係ありますよね(^^;)

子ども時代、

もちろん学校行きたくない日も沢山ありましたが、

「行きたくなくてもみんな行くんだ」という教えの元で

過ごしておりましたので、行かないという選択肢は

無いと思っていました。

そんなマインドでしたので、

実際に子どもが行きたくないと泣いているにも関わらず

泣いているのは今だけだろうと行けばまた機嫌も治るだろうと

無理して連れて行ってました。

毎日のように泣く子どもにイライラしながら

怒ったりして連れて行った事もあります。沢山・・・。

今思うと、なんて事していたんだろう(-_-;)

保育園行くの嫌なのに無理して行って、保育園でも不安な時間を

過ごして、家に帰ってきてからも次の日にまた保育園

行かないといけないと思うと辛くて仕方ないのに、

親にその気持ちを分かってもらえない子どもの苦しみって・・・。

私の理解のなさが、子どもの気持ちを余計に苦しくさせて

しまっていたのだろうなぁと、子どもにとって安心できる

居場所を私が奪っていたんだね・・・と今なら思えるのですが、

当時は、みんなと同じように出来ない子どもに対して

自分の子育ては間違っていたのかな?とか

どうしてこんなに行きたくないんだろう?とイライラしたり

自分自身もナゼなのか分からない事で

苦しくてしかたありませんでした。

でも、そんな子どもと日々向き合う過程で、

その苦しさって、結局自分の沢山の思い込みが作って

いたんだー!!ということにもどんどん気付かされていきました。

なんだかんだでですね、子どもと向き合う度に、

がっつり握りしめていた自分の思い込みとぶち当たるという現象が

続いて、それをどんどん取っ払っていく事で私自身の辛さが

無くなっていきました。思い込み恐るべし(・д・)

私の場合は、自分の子どもが集団生活に辛さを感じる

という事を知った事で、そんな風に感じている子ども達の理解へと

繋がりました。

なので、あるあるかも知れませんが、学校へ行きたくても行けない子どもの苦しみとか

学校の先生に伝えたり、家族に伝えてもなかなか理解してもらえないという悩みって

出てきますよね。

当初は、「なんで学校の先生がそういう子ども達もいるって事について理解できて

いないのだろう??」とか「家族なんだからちゃんと理解してよ」とか

私自身も子どもの100%を理解している訳ではありませんが、

子どもの事を受け止められるようになってから、そのことを学校等に相談

した時に、あまり理解してもらえてないなと手応えのない時間になって

しまった時についついそんな風に思う事も多々ありました。

でも、これは、やはり、私も同じように辿ってきた

「知らない」が故の無理解なのかなって思うのです。

なので、これも、あるあるかも知れませんが、

自分達の親であったり、先生であったり、

身近な人で、「知らない」マインドの方達の

言葉にものすごく棘を感じてしまう現象。

「子どもが学校行けないのは、甘やかしすぎるから」とか

「みんな嫌だけど行っているの、頑張りが足りない」とか

「わがままだ」とか

こんな言葉を悪気もなく言ってこられた日には、

もう何も話したくなくなりますよね。

ものすごく傷ついちゃいますよね。

逆に、「なんで、この子の事理解してあげようって思えないんだろう」とか

「少しは勉強しなさいよ」という小さな反発心も覚えたり。(^^;)

しかし、しかしですね、

私の場合は、それらの方々は、かつての私なんだと

何も知らなかった、理解できなかった私と同じなんだと。

ただ、知らないだけで、自分の思い込みだけで話してしまっている

だけなんだと、今では思えるので、傷つくこともなくなりました。

つまり、その棘は私自身の相手への無理解が勝手に作った棘でもあったという事です。

相手の事を知る事が相手への理解に繋がっていくとすると

理解してもらえてないと感じた時に自分が出来ることは

「まずは知ってもらう」という事なのかなと思い、

今は、知ってもらうために何度も何度も周りの方々に

お伝えさせてもらっています。

今は、社会の流れの中でも、多様性への理解を深めていきましょう

という風になっていますが、実際に「多様性」という言葉は聞くけど

具体的にはどうかというと、そこは知らない事の方が多いのかな?って

自分を含めて思います。

そういう社会を創っていこうと声を上げているのであれば、

「まずは知ること」から始めて、そこから1人1人が具体的に

自分の身近な事から取り組んでいけたらいいですよね。

私にとっては、こうして子どもの事を通して、多様な学びの選択肢や

子どもをとりまく環境づくりについて、まずは知ってもらう事や

居場所づくりなどいろんな方々と協働しながら取り組んでいけたら

いいなと思うようになりました。

殊に、子どもを取り巻く環境作りに関しては、そもそもの部分で

私達大人のマインドシフトが必要なのでは?というのをものすごく

感じています。まずは、子ども達が持っている

「こうだったらいいなぁ」の声をどんどん聞いていくと

自然と自分自身のマインドシフトポイントに出くわす確率が

とても高くなると思うので、是非やって欲しいですし、私も

どんどんやって行こうと思います(*^O^*)

お子さんでも親御さんでも学校の先生でも

誰かに話しを聞いて欲しいなぁとか、ただ気持ちを吐き出したいとか、

自分の気持ちを言葉にしてアウトプットすることは、

自分の気持ちや頭の整理にもなりますので、

そういう時は、お気軽にお問い合わせフォームよりご連絡ください。

あなたは1人ぼっちじゃないですよ。大丈夫だよ(*^_^*)

バッタと花